【津田梅子の手紙の要点】
父が帰って来ての朝鮮についての話をしてくれました。
動物の方がこのような汚い朝鮮人よりましだと思います。
本当に野蛮な人びとがいるのです。
衣服や食料は、粗末に不潔につくられている。
家は掘っ立て小屋のようだし、妻たちは完全に奴隷か囚人のようです。
彼らの習慣は下劣で、何もかもが汚くそして粗野なのです。
ある意味で、世界で最悪の国のように思われます。
どうして人間がそのようになれるのか驚きです。
津田梅子の手紙(米国との書簡)
2.2.2.
1883(明治16)年9月30日の手紙父が帰ってきました。
2、3日前に、思ったよりも早く着いたのです。
朝鮮についてとても興味深くおもしろい話をしてくれました。
いくつかの点では、動物の方がこのような汚い朝鮮人よりましだと思いますし、あるところには本当に野蛮な人びとがいるのです。
彼らは衣服や食料はとてもよいのですが、粗末に不潔につくられているのです。
家は掘っ立て小屋のようだし、妻たちは完全に奴隷か囚人のようです。
寝食や労働のために一つの部屋からでることもせず、下層階級の人びとだけが日中、日光にあたるくらいのものです。
…彼らの習慣は下劣で、何もかもが汚くそして粗野なのです。
…父が私に朝鮮について多くのことを話してくれました。
あなたの記事のために、聞いたことを書いてまとめたいと思います。
きっと、とても関心をもたれると思いますので、書いたら送ります。
ある意味で、世界で最悪の国のように思われます。
日本で出会った朝鮮の人たちは、人間的にも精神的にも日本人の特徴ととても似ていて、善良で知的で頑強な男性に思われたのですが、どうして人間がそのようになれるのか驚きです。
>いくつかの点では、動物の方がこのような汚い朝鮮人よりましだと思いますし、あるところには本当に野蛮な人びとがいるのです。彼らは衣服や食料はとてもよいのですが、粗末に不潔につくられているのです。家は掘っ立て小屋のようだし、妻たちは完全に奴隷か囚人のようです。
>彼らの習慣は下劣で、何もかもが汚くそして粗野なのです。
>ある意味で、世界で最悪の国のように思われます。
>どうして人間がそのようになれるのか驚きです。
当時、朝鮮に行った人々は、日本人も欧米人も同じように朝鮮のことを記録・報告している。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766869/55
「最近朝鮮事情」明治39年(1906年) 清水書店より
(本書は衆議院議員で中国新聞社主筆でもあった荒川五郎の朝鮮視察記)(一部抜粋)56頁~
朝鮮人の不潔ときたら随分ヒドイ。
てんで清潔とか衛生とかいう考えはないから、いかに不潔な家でも、いかに不潔な所でも一向平気で、濁った水でも構わないどころか、小便や大便の汁が混じって居っても、さらに頓着せずにこれを飲む。
実に味噌も糞も朝鮮人には一緒である。
といえば朝鮮に行かない人には、極端の言いようのように思われるかも知れないが、事実その通りで、一例をあげれば、家を造るに、壁土の中に馬糞などを混ぜて喜んでこれを塗る。
その訳は馬糞を混ぜると壁が堅くなって泥が落ちにくいというている。
さらに驚くべく信じ難い程であるのは、朝鮮人は小便で顔を洗い、気目がよくなるというて居る。
また小便は腎虚や肺結核や解熱等に有効じゃというてこれを用い、また強壮剤じゃというて無病の者でも飲んでいる。
いよいよ病気が重くて生きられまいという時は、大便を食べさすということも聞いている。
なんと驚かしいことではないか。
塵や芥(ごみ)がばらけておろうが、物が腐って臭かろうが、食物に蝿などがたかって汚しても、更になんとも思わないで、年中風呂に入るの、湯をつかうのということは無い。
『政治史』第77巻、豚犬的生活五より
細井肇著「漢城の風雲と名士」韓国内地を旅行すれば、路傍や街路中に累々たる黄金の花(人糞の比喩)が場所も構わずにあちらこちらに咲き乱れいて、足の踏み場もなく潔癖な人は一目その不潔さと臭気の酷さに驚くのである。
(中略)
現に、この国(韓国)の中央都会である京城(ソウル)のような、「韓国の帝都」と言われる都市でさえ至る所に人糞や牛馬糞を見ないことはなく、辺りに漂う恐ろしいほどの臭気は人の鼻を襲い目を顰めない人はいない。
さらに京城市内(ソウル市内)を流れている川には、そこに隣接する各家々から排せつされる糞尿が混じり、川の水は黄色に染まり、ドロドロとなっているなど目も当てられない光景であるが、韓国人はその水を洗濯に使っている。
全く持ってとんでもない話である。
毎年夏期になると京城(ソウル)では伝染病が流行し、その伝染病にかかる患者の殆どが韓国人であり、大流行時には何千人もの患者を出すことも珍しくはない・・・
語られざる「善政」
今お話したように、統治時代のことについては戦後誇張されているウソがいっぱいあるわけですが、実際には「一視同仁」を実現するために、朝鮮総督府は本当によくやったと思います。
例えば、併合直後に朝鮮に渡った私の大叔父の話によると、釜山港に上陸したら道らしい道がないことに驚いたそうです。
なかには、道の真ん中に家が建っているところもあった。
なぜかと言ったら、とにかく千三百年間支那の属国でしたから、道路を作ったら侵略されるということで、道らしい道がなかったのだそうです。
それから、家にトイレもなかったから、臭いもすごかったすごかったそうです。
朝鮮人は部屋の中で用を足し、その大小便を朝、窓から外へ捨てるから、もう臭くてプンプンしていた。
伊藤博文が仁川で上陸してソウルの王宮まで行くのに、臭くてとてもかなわんということを書いてますけれども、当時の朝鮮の人に言わせるとそれがいいと言うんだ。
異民族が侵入してこないためにもこれがいいんだと。
そういう非衛生的な状態が蔓延していたから、コレラ、チフスがすぐ出る。
それに、病院がないから人がばたばた倒れて、その辺にごろごろしていた。
大叔父はそのような話をしていました。
日本人はそういうところに行って、街路をきれいに整備した。
そのお陰で朝鮮は三十六年間で近代都市に生まれ変わったんです。
また、病院をどんどん作って衛生思想を普及した結果、コレラ、チフスといった伝染病が根絶され、餓死者が一人も出なくなった。
餓死者というのは、栄養失調だけでなくて病気もありますからね。
この功績はいくら強調してもしすぎることはないと思います。
そういう朝鮮総督府の善政は、朝鮮の民衆が一番よく知っていたはずなんですよ。
「釜山で朝鮮が私に与えた第一印象は、さほどいいものではなかった。
道は狭く不潔で、家屋は低くて見栄えがしなかった。
日本のように人目を引く商店や、古い寺などもない。
四方から悪臭が漂い、戸外にはごみが積もり、長い毛をだらりと垂らした犬が集まってきては食べ物をあさっている。
あちこちに乾上った下水道があるが、そのべとべとした底ではいろんな汚物が腐りかけている。
そしてその中で髪の毛の長い子供たちが遊んでいる。
朝鮮の海辺の村落を通り抜け、車夫らは道がより広く比較的きれいな、日本風の市街地へ向かった……」ビショップ婦人は「三十年前の朝鮮」バード・ビショップ 1925年」で朝鮮についてこう書いている『25万人の同市民は地上に瓦または藁を並べた一階屋の下に潜り込んで生活している。いや、不潔な道路に蠢動(しゅんどう)していると形容したほうがよいだろうか。その道路は広くても二頭の馬が並ぶことができない。狭いところで一人の荷を担いだ者が往来を塞いだほどである。路傍には悪臭が芬々(ふんぷん)とする溝があり、路面は埃まみれの半裸体の子供と、獰悪(どうあく)な犬とによって占領せられている』『市街の中心を西から東へ流れる下水道は、市中の汚水を夜に昼に絶えず城外に排泄している。そのために下水道の泥は真っ黒で幾世の昔からの濁水によって染められ悪臭を空中に放散して旅人を悩ましている』
『南山の中腹に日本公使館があるが、木造で白塗りの建物としてはあまり感心できない。その麓に日本人居留地があり、約五千人の日本人が小さな天地をつくっている。料理店もあれば、劇場もある。朝鮮人町と反対に清潔でよく整って気持ちがよい』
ビショップ婦人はソウルは「世界一不潔な都市」とまでいっていた。
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イザベラ・バードの日本紀行 合本版 (講談社学術文庫)
イザベラ・バード (著), 時岡敬子 (翻訳)
伊藤博文 「嘘つき朝鮮人とは関わってはならない」
吉田松陰 「朝鮮人の意識改革は不可能」
新井白石 「朝鮮人は、己に都合が悪くなると平気で嘘をつく」
新渡戸稲造 「朝鮮亡国の原因は、朝鮮民族という人間にある」
福沢諭吉 「この世の中に救いようのないどうしようもない民族がいる。朝鮮人だ」
夏目漱石 「余は、朝鮮人に生まれなくて良かった」
本田宗一郎 「韓国人と関わるな」
津田梅子 「動物の方が汚い朝鮮人よりまし、朝鮮人は本当に野蛮、朝鮮は世界で最悪の国」
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