島根県は、竹島が記された日本地図の下書き2点を茨城県高萩市で確認したと発表した。
江戸時代中期の水戸藩(茨城県)の地理学者、長久保赤水(1717~1801年)が1760年代に作成したもので、竹島が表記された日本全図としては最古という。島根県は「古くから竹島が日本領と認識されていた新たな証拠」としている。
県によると、1760年代作成の「日本図」と、68年作成の「改製日本扶桑分里図」の2点で、ともに赤水の自筆。県の竹島問題研究会が6月下旬、所有者で赤水の子孫の長久保甫さん(73)(高萩市)らに確認した。
赤水は1779年、緯線と南北方向の方角線の入った日本地図「改正日本輿地路程全図」を刊行。竹島が描かれた最も古い日本地図とされており、国や県が、竹島の領有権を主張する際の根拠の一つとしてきた。2点はこの「輿地路程全図」の下書きだったとみられ、同図より十数年古い。
「日本図」は日本列島の形や区画が雑で、「輿地路程全図」の下図とみられる。隠岐諸島の北西に「松嶋(現竹島)」と「竹嶋(現鬱陵島)」の表記と島が書かれていた。
「改製日本扶桑分里図」は緯線や方角線、詳細な地名が記され、「輿地路程全図」とほぼ同じ内容で、縮尺も同じ130万分の1であるため、完成直前の原図とみられる。
同じく隠岐諸島の北西に「松島(現竹島)」と「竹島(現鬱陵島)」の表記と島が書かれているほか、最初は北北西に二つの島を描き、顔料で消した跡もあった。水戸藩が保有していた松江藩士作成の隠岐諸島周辺の地図などを基に書き直したとみられる。
2点は現在、高萩市教委に預けられており、県は今後、複製を竹島資料室(松江市)で展示する予定。
同研究会は「韓国側には、14世紀末から20世紀初頭までの李氏朝鮮、大韓帝国の時代などに、竹島を正確に記した地図は1枚も確認されていない」と指摘。「日本が江戸時代には竹島を実効支配していたことを示す貴重な資料」としている。
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