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■南京大虐殺がねつ造された理由
投降兵は子供だった。トーチカの外部を鎖で巻き施錠していた。トーチカの中の中国兵は足を鎖でつながれており、死ぬまででられない状態だった。人道上許しえない暴状であった。アメリカは広島、長崎に原子爆弾を投下した。国際法を蹂躙する虐殺を行った。東京裁判を行うにあたり、日本はそれ以上の虐殺行為を行った必要があった。
■南京陥落当時の貴重な映像(1of5)
■【部分公開】「南京の真実」第一部「七人の『死刑囚』」[桜H24/7/28]
■【超限戦】報道スペシャル-中国プロパガンダ写真の真実[桜H24/2/4]
http://history.gr.jp/~nanking/ 「南京大虐殺はウソだ」
南京の本当の写真(貴重写真)
南京市民に食糧等を配る日本兵たち。(イギリス系新聞
「ノース・チャイナ・デイリー・ニュース」1937.12.24付 南京占領の11日後)
南京市民と楽しく会話する日本兵ら
(1937.12.20撮影 南京占領の7日後 支那事変写真全集1938年刊)
日本軍による南京占領5日目の朝日新聞
(右)武器も持たず中国人から買い物をする日本兵。
(中上)南京に戻ってきて畑を耕す中国人農民。
(中下)平和になって南京に戻ってきた中国人ら。
(左)中華街の名物、街頭床屋。子どもも大人も手製の日の丸の腕章をして笑っている。
(朝日新聞 1937.12.18付)
http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm
南京占領8日目の朝日新聞。タイトルは、「きのうの敵に温情《南京城内の親善風景》」
(右上) 治療を受けている中国傷病兵
(左上)日本軍将兵の情に食欲を満たす投降兵
(真ん中)中国人のお店で買い物をする日本兵ら
(右下)山田部隊長と語る敵の教導総隊参謀、沈博施小佐
(左下)南京城内でくつろぐ中国人市民ら
(朝日新聞1937.12.21付)
南京の病院の中国負傷兵と看護する日本兵
(ノースチャイナ・デイリー・ニュース 1937.12.18付 南京占領の5日後)
中国負傷兵を看護する日本の衛生兵
(南京占領の7日後 1937.12.20林特派員撮影 朝日版支那事変画報1938.1.27刊)
「中国人は日本人カメラマンが行くと、積極的に子供をかかえて撮影に協力してくれる。
日本兵や日本人を恐れていなかった」
(カメラマン佐藤振寿氏。南京占領の2日後 1937.12.15撮影 南京安全区にて)
日の丸の腕章をつけ、通りで野菜を販売する南京市民(1937.12.15 南京占領の2日後)
疫病防止のため南京市民に予防措置を施す日本の衛生兵
(南京占領の7日後 1937.12.20林特派員撮影 朝日グラフ 1938.1.19刊)
日本兵から菓子をもらって喜ぶ南京の家族
(1937.12.20撮影 朝日版支那事変画報1938.1.27刊)
南京事件関係の写真の真偽を検証する本を見ていたら、面白い話が出てた。
反日謝罪活動をしている、元日本兵中国帰還者連絡会(中帰連)の本に
掲載されていた、南京の建物の前に並んで写る、足を切断し、松葉杖を
ついた中国兵10名ほどの写真。いっしょに腕章をした日本兵も並んで写っている。
中帰連の解説では「日本軍に足を切断され、逃げられなくされた中国兵」。
ところが、この写真の原板が新聞社で見つかり、写真にしたところ驚くべきことが・・・・
写真の中国兵の背後の建物には大きく「衛生隊」の文字があったのに、
中帰連の本ではこの「衛生隊」の文字が意図的に消されていたのだ。
実際は、「日本軍衛生隊」に治療を受ける中国兵だったわけだ。
これが中帰連の正体というわけだ。
これまで本名で南京大虐殺を証言をした者は、ことごとく嘘であったことが確認されている
これまでのウソ証言者
□ 東史郎
一番有名な捏造者。 原本が存在しない創作をバラまいた。 中国は未だに真実扱い。
□ 中山重夫
戦車段列から処刑を見たと吹聴していたが、場所と時間がコロコロ変わったので嘘がばれた。
□ 富永博道
当時は学生だったのに、自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。 経歴照会で嘘判明。
□ 舟橋照吉
東の懺悔屋成功に便乗し日記を捏造。 仮想戦記な内容であっさり×。
□ 曾根一夫
野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵下士官だと経歴と日記を捏造。 経歴照会で嘘判明。
□ 田所耕三
強姦と虐殺を証言していたが、所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。
後に捏造を告白。
□ 太田壽男
死体大量埋葬を供述書に書く。が、梶谷日記 ( 捏造物の数々と違い、原本が確認できる )
により当時証言場所にいなかった事がバレる。撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった。
□ 富沢孝夫
海軍の暗号兵で、「 松井軍司令官の虐殺をいましめる暗号を傍受・解読した 」 と証言。
だが海軍の彼が陸軍の暗号を解読するのは不可能で、しかも証言日時に松井司令官は
蘇州で入院。
□ 上羽武一郎
「 上官命令で強姦虐殺放火 」 と証言。
が彼は後方担架運びの衛生兵で、命令が出たとの史料もない。
このように、偽証言 ・ 偽手記 ・ 改竄記録が多く出回っている。
以下は、検証を受けるまでは堂々と真実として喧伝されていた、偽記録等の特徴。
■ 原本が確認できない。 実物を絶対見せない。
■ なぜか南京戦前後だけ詳細に記録。
しかも矛盾点や他の一次史料との乖離が異常に多い。
■ 記録者証言者本人の経歴が実際と違う。
■ 「 日本や日本軍は懺悔しろ! 」 と糾弾するが、
自身は償いに私財を投じることはなく、出版や講演で儲けている。
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