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邦人7人が犠牲になった1日夜のダッカの飲食店襲撃テロに関連し、バングラデシュ当局は10人に上る最重要容疑者を手配したが、その中に京都の大学の教師として教鞭を取っていたバングラデシュ人が含まれていたことが判明した。これが事実とすれば、日本にも現実問題としてテロの脅威が忍び寄っていたことになり、政府、警察庁も重大な関心を寄せている。

解雇の立命館準教授か

この情報は19日付の米紙ニューヨーク・タイムズが最初に報じた。その報道などによると、バングラデシュ当局は今月、ダッカの飲食店襲撃に関し て、最重要容疑者10人のリストを公表したが、その中に3人の外国居住者が含まれ、うち1人は「京都の大学の経営学部の大学教授」としている。

同紙によると、この人物は「モハマド・サイフラ・オジャキ」容疑者。テロの訓練や過激派組織「イスラム国」(IS)のための新兵徴募の手助けをした容疑で手配されており、バングラデシュ国内の過激派と国外のテロ組織とを結ぶ接点となる役割を担っていたとされる。

オジャキ容疑者はバングラデシュ中部の穏健なヒンズー教徒の家庭に生まれ、奨学金を得て留学し、京都の大学の経営学部で教えるまでになった、という。オジャキ容疑者の父親の話によると、彼は日本に居住している間にヒンズー教徒からイスラム教徒に改宗し、名前も変えた。

父親のジャナルダン・デブナット氏はオジャキの改宗に驚がくし、彼がイスラム過激派の象徴であるあごひげをはやしているのを見て仰天したという。息子がテロのネットワークに関与した疑いがあると聞いて「何が起きているのかまったく分からない」と同紙に嘆いている。

立命館大学の広報課によると、「デブナット・サジャド・チャンドラ」という人物が2015年4月から2016年1月まで、衣笠にある国際関係学部で経営学の准教授を務めていた。しかし、突然大学に出勤しなくなり、連絡もつかなくなった。このため3月に解雇したという。

この准教授は父親と同じ姓であることなどから、オジャキ容疑者と同一人物と見られており、すでに日本から出国しているようだ。同容疑者は大分・別 府にある立命館アジア・太平洋大学に2002年10月に留学。06年3月に卒業後、修士、博士課程を終了。2011年4月から助教になった。

准教授は2015年4月から5年間の契約になっており、4年以上も期限を残しての解雇だった。関係者によると、同容疑者は九州の他の大学でも非常勤講師を務め、大手電気メーカーの情報システム本部にも一時的に籍を置いた。

学生らへの影響が懸念

同容疑者の現在の所在などは一切明らかではなく、実際に今回のダッカのテロにどう関与したのかも不明だ。しかし襲撃犯らが当初から日本人ら外国人 を狙い、襲撃直後に日本人を殺害していることなどを考えると、同容疑者が長年日本に滞在していた事実は無視できないだろう。むしろ、大きな意味を持ちかね ない。

しかも日本でテロが発生する危険性についてはこれまで、国内のイスラム教徒の人数が少ないために過激派の受け皿がなく、イスラム世界と距離的にも遠いことから国内でテロが発生する可能性は小さい、と考えられてきた。

しかし「容疑者が日本に滞在中にイスラム過激主義、それもISの思想に傾倒していたとすれば、これまでの認識を変える必要がある。本人が出国して いたとしても、教師であることを考えると、学生や周囲が彼の影響を受けなかったのか、懸念される」(テロ専門家)という見方も出るだろう。

日本にイスラム過激派が滞在していたことは今回が初めてではない。2002年から翌年まで国際テロ組織アルカイダに属していたリオネル・デュモンのケースがある。デュモンはシンガポールから偽造旅券で日本に入国。短期の出入国を繰り返しながら、新潟に潜伏していた。

しかしその存在が明らかになったのは、日本を出国してドイツ当局に逮捕された後だった。デュモンは新潟で中古自動車の輸出などの商売を手がけ、逮捕された後に、仕事仲間や友人らが摘発された。

バングラデシュ当局が手配した10人のリストにはカナダとオーストラリアに居住していた2人も含まれている。特にカナダから2013年に帰国して行方知れずになっているタミン・アハメド・チョウドリ容疑者がダッカ・テロのカギを握る人物と見られている。

捜査当局は、チョウドリがバングラデシュの地元のIS系過激派「ジャマトウル・ムジャヒディン・バングラデシュ」とシリアのISをつなぐ役割を果 たし、飲食店を襲撃した実行犯5人の徴募、訓練、武器の調達を仕切り、テロを背後から操ったと見ている。オジャキがチョウドリとともに今回のダッカ・テロ に深く関与した可能性も十分ある。

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/7347?page=2